仕上げ段階に入ったか?
ここには全然書いていませんでしたが、この曲とはずいぶんと長い付き合いです。どこが難しくて、どこが簡単かも知り尽くしていると言っても、まぁ、許されましょう。こんなつまらない録音をアップロードしていたところで、この楽譜に沿って指を動かしてみれば、それくらいのことはわかります。そしてそのこと同じように取り組んでみれば誰にでもわかります。しかし、ミケランジェリの弾くこの曲の美しさの秘密はいまだに謎のままで、ピアノという楽器の奥の深さと、音楽芸術における完成度(ミケランジェリの音楽は決して衒学的ではありませんが、一観衆としての愉しみはこの際問題にしません)の底知れぬ感じも触れてみなければわかりません。
時代も流れて、この曲の扱いも変わりました。ポーランド国定ショパン原典版楽譜通称エキエル版では、今まで作品68-1として扱われていましたが、新たにWN24という整理番号とマズルカ遺作第4番という位置づけをされての再出発となりました。作品番号からは除外となりましたが、ほとんど傑作集と言って過言ではない遺作集(なぜ生前に出版されなかったかわからない楽曲を集めたという意味ですから)入りと、運指が多く追加されているところを見ると、むしろ扱いがよくなったのではないかと思われます。快活さと歌の魅力が両立したショパン初期の傑作の一つとして、これから多くの人々に愛好されると、愛奏人の一人としてもうれしいことです。
課題の列挙
さて、上の録音で満足いくわけがありません。少しでも完成度を高めるために問題点を指摘して課題を設定します。
1. 全体的に和音が不ぞろいである。
録音してみないとわからないことです(録音してみると残酷なまでにはっきりときこえるのです)が、いい加減に弾いているならともかく、そうでなくとも音はそろってくれません。対策として、以下のことを実践する。
①全音符に対し、ちょうど液体が容器の細い隙間にまで注ぎ込まれるように、意識を指先にまで流し込むような態度でもって鍵盤に触れること。
②和音は個別に揃った時の音と、指の感触を確認し、把握する事。そして、把握した音を各々自由に引き出すことができるようにすること。
関連して、以下譜例の部分の改修をした方が良いような気がしました。
ミケランジェリでは、和音全体が不思議なテノールを響かせて対旋律のように扱っていました。これを導入したいです。
2. 意図しないテンポルバートの排除
手が忙しいなどの理由で、無意識のうちに、楽曲の中に句読点を打ってしまうことはよくあります(私だけかもしれません)が、これはその典型例と言えましょう。四分音符が二分音符ほどの長さとなってしまっています。ただ、一方で、オクターブが続く部分とその後では、明らかに音楽の性質が違うので、何か区切りが欲しいところです。ペダルを離して、リズムを変形させずに聞こえるか聞こえないかの無音を挿入するのが良いのかもしれません。この記事のために初版を編集する際に楽譜をよく見たら、ペダルを離せとの指示がありました。精読が足りない証拠です。
3. A部分のルフランの整備
2.と似たようなものですが、この曲最大の難関と言っても過言ではない、A部分の締めくくりです。見た目は地味ですが、やたらと弾きにくい。しかもAが現れるたびに必ず現れます。通しで弾くことのできるようになるまでは、この一小節を延々と練習していたような記憶があります。あまり期待していませんでしたが、エキエル版での運指の工夫もなく、私がいつも採用している指の動きが書いてあるだけでした。もう回数を重ねる以外に上手くなる方法はないように思われます。コツは、左手のリズムを前小節と全く同じ感覚で切ることです。そうするとおのずと課題が見えてきます。弾くことができた暁には自在な手の開きが可能となっていることでしょう。
4. B部分を無理なく歌うように
Bの部分でWN24に取り組み始めたという人もいるかもしれませんが、なかなか厄介な部分です。しかも、一度しか現れません。つまり、自己満足の範囲であろうと失敗が許されないのです。指が忙しいのは、以下の部分。最後の跳躍は運が絡むというほかないです。tr(エキエル版の注によればマズルカでのtrはwを意味するのだそうです)は相変わらず忙しいままですが、譜例の第二小節目が無理なく歌えるようになったのは大きいです。使わない手はないでしょう。
いろいろ書きましたが…
結局は、練習によって頭と手に覚え込ませなければ、音になってくれないのです。机上でできることと言えば、練習時間を減らすという一事のみです。
つづく
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